分霊箱とは、単にヴォルデモートの魂を保存する装置ではなく、彼の歪んだ自己認識、不死への渇望、そして深刻なトラウマを映し出す「魂の自画像」そのものでした。
出自へのコンプレックス、純血への執着、自身の知性への過信、そしてホグワーツへの屈折した愛憎――彼が魂の器として選んだ6つの品々と、意図せず生み出してしまった7つ目の分霊箱であるハリー・ポッターは、自己を神格化しようとする意志の結晶であり、彼が最も忌み嫌う「死」と「人間的な弱さ」への根本的な恐怖の表れでした。
この記事では、ヴォルデモートが作成した分霊箱を通して、彼が魂を削ってまで不死を得ようとした動機と、その禁断の行為がもたらした人間性の崩壊、そして最終的な破滅について深掘りします。
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【第6回】ハリーはなぜ分霊箱になった?「分霊箱」全7種の謎と選ばれた理由を徹底解説!
Contents
「分霊箱」に手を染めたヴォルデモートの動機
トム・マールヴォロ・リドル、後のヴォルデモート卿は、孤児院で育った自身の出自と、人間にとって避けられない「死」という概念に、幼い頃から強い不安と恐怖を抱いていました。
彼の類稀なる魔法の才能は早くから開花しましたが、それは他者との信頼関係や愛情によって育まれたものではなく、他者を支配し、操作し、欺くことで他者より優位に立つための力として磨かれました。
J.K.ローリングは、ヴォルデモートの根本的な欠陥が「愛せないこと」だと繰り返し述べています。
彼が愛に基づかない関係から生まれたこと――具体的には、母親のメローピー・ゴーントが父親のトム・リドル・シニアに「愛の妙薬」を使って無理やり結ばれたこと――は、その後のヴォルデモートの人生に決定的な影響を与えました。
彼は、言ったように、愛のない結びつきから生まれました。彼はそれを理解できなかったでしょう。それを感じることもできなかったでしょう。
そして、ダンブルドアが言うように、彼の最大の弱点は、愛することができない、あるいは愛を理解することができないということなのです。
ーJ.K. Rowling, Online Chat Transcript, Bloomsbury, 30 July 2007.(Accessed via accio-quote、2025/5/15)
この「愛の欠如」と「愛への不理解」が、他者への深刻な不信や死への異常な恐怖心に繋がり、分霊箱の作成という禁忌に彼を駆り立てた重要な動機でした。
彼にとって死は、自己の存在価値が完全に消滅する「無」であり、究極の敗北でした。
それゆえに、「魂を分割し、別の器に保管すれば永遠に生きられる」という分霊箱の魔法は、彼にとって“死”そのものを否定し、自身の存在を永遠化するための究極の手段に他ならなかったのです。
魂の断片化の代償|ヴォルデモートの人間性はいかに失われたか
分霊箱を作るということは、殺人を犯すことで魂を引き裂き、その断片を物体に封じ込めるという、魔法界でも最も邪悪で危険な行為です。
そのおぞましい代償として、ヴォルデモートの肉体と精神は、分霊箱を作るたびに著しく変容していきました。原作で「人間としての姿を失っていった」と繰り返し描写されるように、魂を削れば削るほど、彼の人間的な感情、共感能力、そして理性の一部が剥落していったのです。
J.K.ローリングは、魂を分割することの危険性について次のように述べています。
分霊箱は、ご存知のように、通常の人の魂とは正反対のものです。魂は無傷で完全なままであるべきです。魂を分割することは侵害行為であり、自然に反するのです。
ーJ.K. Rowling, Online Chat Transcript, Bloomsbury, 30 July 2007.(Accessed via accio-quote、2025/5/15)
この「自然に反する」行為の結果、彼の人間性は著しく損なわれ、修復不可能なレベルにまで劣化しました。
魂の修復には深い悔恨が必要とされますが、愛や罪悪感を理解できない彼にとって、それは到底不可能なことでした。
共感能力の欠如と歪んだ愛着
ヴォルデモートは、他者の痛みや感情に対する理解が皆無でした。
例えば、蛇のナギニに対しては、J.K.ローリングが示唆するように彼なりの歪んだ愛着や、自身が唯一心を許せる(と彼が信じる)特別な存在と見なしていた節があります。
しかしそれも、真の共感や他者を尊重する愛ではなく、自己の延長線上にある道具、あるいは忠実な従属物としての価値が主であったと考えられます。その証拠に、彼はナギニを分霊箱にするという極めて危険な行為を躊躇しませんでした。
他者への不信と支配欲
彼は、最も忠実とされる死喰い人(デスイーター)を含め、誰一人として真に信頼することはありませんでした。
全ての関係は支配と恐怖によって成り立っており、裏切りを常に警戒していました。他者を自分の意のままに操ることだけが、彼にとっての人間関係の基本でした。
死者すら操作する欲望
「蘇りの石」の真の力(愛する者の影を呼び戻す)に全く関心を示さなかったことは、他者の感情や死者の尊厳に対する彼の無関心さを象徴しています。
マールヴォロ・ゴーントの指輪に偶然はめられていた「蘇りの石」の真の力(愛する者の影を呼び戻すこと)に彼が全く関心を示さなかったことは、他者の感情や死者の尊厳に対する彼の無関心さを象徴しています。
彼にとって重要なのは石の歴史的価値(ペベレル家の遺物)と、それを分霊箱にすることだけでした。
こうした変化は、魂を単なる「生存のための道具」として扱い、自然の摂理に反した者の避けられない末路を示していました。
選ばれた分霊箱に共通するヴォルデモートの自己顕示欲
ヴォルデモートが分霊箱として選んだ品物の多くは、彼自身の生い立ちや信条、あるいは彼が価値を置くものを強く表していました。
これは、魂を安全に保管するという実際的な目的だけでなく、自身の思想や存在を後世に伝え、「神格化」しようとする彼の歪んだ自己顕示欲の表れと考えられます。
特に、彼が分霊箱の数を「7」(本体の魂を含む)にしようとした点については、第二回の特集で解説しています。
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【第2回】分霊箱はなぜ7つ?ヴォルデモートの動機と過去に迫る
ここでは、ヴォルデモートの自己神格化への強い願望と、数へのこだわりが表れていました。
- スリザリンのロケット: 偉大なサラザール・スリザリンの血統を引くという彼の誇りを象徴。
- ハッフルパフのカップ: ホグワーツの創設者の一人ヘルガ・ハッフルパフの品物を手に入れることで、魔法界で最高の学校であるホグワーツと、その歴史そのものを自分のものとし、支配したいという彼の強い欲望の象徴。
- レイブンクローの髪飾り: 失われた伝説の品物であり、ロウェナ・レイブンクローの賢さの象徴。これを手に入れて分霊箱にすることで、その賢さまでも自分のものにしようとする、彼の優越感の象徴。
- トム・リドルの日記: 最も才能に溢れていたと自負する若き日の自分自身を「神話化」し、その力を保存しようとした試み。
- マールヴォロ・ゴーントの指輪: ペベレル家という古い純血の血筋とスリザリンへの繋がりを象徴。
- ナギニ: いつもそばに置き、意のままに操れる「生きた手下」であると同時に、彼が唯一、ある種の心のつながりを感じている存在。サラザール・スリザリンが蛇と話せたこととも関連づけ、自分の特別な能力を見せつける存在。
これらの分霊箱にするアイテム選びは、彼が単に「分霊箱によって不死を得よう」としただけでなく、「分霊箱という記念碑を通じて、自分の偉大さと恐ろしさを永遠に人々の記憶に刻み込もうとした」という彼の考えをはっきりと示しています。

分霊箱ハリー・ポッター|ヴォルデモート計画の最大の計算違い
ハリー・ポッターは、ヴォルデモートが意図せずして魂の一部を宿してしまった「第7の分霊箱」となりました。
ヴォルデモートは自身の魂を7つに分割すること(本体に残る魂+6つの分霊箱に納められた魂のかけら)で完璧な不死を得ようとしましたが、ハリーを殺そうとした時に呪文が跳ね返り、そのショックでただでさえ不安定だった彼の魂がさらに裂け、結果的に彼の魂は8つに分割されてしまったのです。
ハリーは、ヴォルデモートがその存在に最後まで気づかなかった唯一の魂の器であり、彼にとってまさに「制御できない自分自身の一部」でした。
この思いがけない分霊箱の存在こそが、ヴォルデモートの不死の計画における最大の弱点であり、最終的に彼を負かす大きな原因となりました。
ハリーがヴォルデモートの考えや気持ちを垣間見ることができたのも、この魂のつながりがあったからです。魂という神聖なものを不完全に、そして傲慢に扱った者への当然の報いと言えるでしょう。
魂を犠牲にした代償|人間らしさを完全に失うまで
ヴォルデモートは、「魂の分裂によって永遠の命を得た」と確信していました。
しかし、J.K.ローリングが物語全体を通して描いているのは、彼が不死を追求する過程で、人間として最も大切なものを失っていったという事実です。分霊箱を作るたびに、彼は人間性のかけらを少しずつ、しかし確実に取り返しのつかない形で削り取られていきました。
その結果、彼は愛することも、信頼することも、真の意味で他者と関わることもできなくなり、人間としての喜びや悲しみといった感情すら希薄になっていったのです。彼が最も恐れた「死」を回避しようとするあまり、ダンブルドアが言うように「死よりも悪いものはいくらでもある」という状態、つまり「生きながらにして魂が死んでいる」状態に陥りました。
J.K.ローリングは、キングズ・クロス駅の場面でハリーが見る、傷つき打ち捨てられた赤ん坊のような存在について、それがハリーの中に長年存在し、分離したヴォルデモートの魂の断片であると説明しています。
(キングズ・クロス駅の場面の傷ついた魂の断片について)
あれがヴォルデモートが持つ最後の魂の断片です。あれがハリーの中にあった魂の断片でした。そしてそれは、ある意味、縮んで傷ついていました。なぜなら、それは非常に長い間ハリーの中にあり、虐待された魂の断片だったからです。それは決して分割されるべきものではなかったのです。ーJ.K. Rowling, Online Chat Transcript, Bloomsbury, 30 July 2007.(Accessed via accio-quote、2025/5/15)
この言葉は、分割された魂がいかにボロボロになり、傷ついた状態になるかを示しており、彼が追い求めた「不死」が、結果として人間としての豊かさを完全に奪い去り、「生きているのに死んでいる」存在へと彼を変えてしまったことを表しています。
まとめ|分霊箱はヴォルデモート自身の“墓標”だった
ヴォルデモートがこだわった「分霊箱」は、彼の死への深い恐怖と、愛を知らずに育った心の闇、そして歪んだ自己愛を映し出す鏡でした。
彼が分霊箱に選んだ品々には、自身の血筋や偉大さへの執着が現れています。しかし、魂を7つにも分け、禁断の分霊箱を作る行為は、彼から人間らしさを奪い、愛や共感を失わせ、孤立を深めさせました。
皮肉なことに、彼が意図せず生み出した7つ目の分霊箱、ハリー・ポッターこそが、その不死の計画を打ち破る鍵となります。ヴォルデモートが求めた永遠の命は、真の「生きる」喜びとは程遠く、人間性を失い大切な繋がりから切り離された、空虚なものでした。
結局、分霊箱は彼を破滅から救うどころか、人間性を失っていく過程の悲しい記録となり、「魂の墓標」と化したのです。ハリーポッターの物語は、死よりも恐ろしいものがあること、そして真の強さは愛や人との繋がりの中に宿ることを教えてくれます。
【参考】
J.K. Rowling, Online Chat Transcript, Bloomsbury, 30 July 2007. (Accessed via accio-quote.org, 2025/05/19)
J.K.ローリング著 岡部宏之他訳『ハリー・ポッターと秘密の部屋』静山社
J.K.ローリング著 松岡佑子訳『ハリー・ポッターと賢者の石』静山社
J.K.ローリング著 松岡佑子訳『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』静山社
J.K.ローリング著 松岡佑子訳『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』静山社
J.K.ローリング著 松岡佑子訳『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』静山社
J.K.ローリング著 松岡佑子訳『ハリー・ポッターと謎のプリンス』静山社
J.K.ローリング著 松岡佑子訳『ハリー・ポッターと死の秘宝』静山社
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